貧困を意識してから始める生活1
アダルトチルドレンという語源を必死で調べたのは、いつ頃のことだったか忘れてしまった。
「どうしてこんなこと(状態、思考)になっちゃうんだろう?」
「これは病状なのか、それとも自分元来のアイデンティティなのか」
渦巻く混沌は、いっそ止まればいいの止まらない、カチッカチッと繰り返し同じ時刻を示すアナログ時計のような鬱陶しいものだった。
今はもうアイデンティティやら葦が伸びる速さだとかそんなのどうでもいいと思う。
生まれながらに備わってる素質ってやっぱりあって、それは遺伝子情報であったり天からのうんちゃらだったり、、
両手放しに喜べる素質もあれば、顔面蒼白な素質だってあると思う。
でも私は、環境こそが、と思う。
環境だけが、とは思わない。
ひと一人を創造するものが(私は時に「創造」という単語に拒絶反応を示します。父親が熱心()な宗教家だったので安易にこの単語をあがめ多用していたからです)
素質だけであったり環境だけであったり、どちらか一方てわけにはいかない。
どちらかだけでもあったらなーと思った時、私は間違いなく良環境を求めていた。
私が求めた良い環境ってなんだいってなると、
幼少期の1日をおってみる。(良環境バージョン)
朝 「ご飯出来てるよ、いいかげん起きなさい」と母親に起こされる
メニューはおにぎりと卵焼きと味噌汁。漬物。
学校に行く。ランドセルの横にあるフックにはサンリオの給食袋。
キキララマスト。
昼~夕 学校
夜 「今日なに食べたい?」とか聞くくせにもうメニューは決まってる母親。
そろそろ父親が返ってきて「お、今日のカレーはうまいな!」とか言う。
弟と妹がテレビに夢中でスプーンが止まってるのを注意されて
「はーい」と言って急いで食べる。
宿題やって、お風呂に入って、歯磨きして、寝る。
以上が、私の求めた良環境。
学校以外で、求めたものはなにもなかった。
上手く言えない、、。
バブル絶頂期に貧乏な家庭だった。
父親は何か色々と一人バブルをしてたようだけど、どう振り返っても当時の我が家は極貧だった。
極め付け毒だったのは両親ともに「愛がいちばん大事」と驕っていたことだと思う。
一番とか二番とかじゃない大事なことってひとつじゃないだろう、と今の私は思う。
両親居ながら(共働き)にして極貧生活、そして今思えばあれはネグレクト。
いつも汚い部屋で過ごしてた。
愛のある汚い部屋で、愛のある食料がない部屋で、子供だけで過ごす無法地帯。
今の私なら、こんな環境は悲劇だと言い切れる。
数年前の私には底の抜けたザルみたいな許容範囲があったので、気にも留めないちょっと大変そうねくらいの環境に映っていた。
(続く)