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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

虫食いどんぐりが落ちたばかりのどんぐりを笑う

「自分」と「他人」の境界線を意識するようになってから、生活がだいぶ改善されました。

 

共依存体質の人は相手(他人)の喜怒哀楽を自分のものとして解釈したり、受け入れたりしやすいと思う。大袈裟に言うと、相手が好きなものは自分も好き、相手が嫌いなものは自分も嫌い、のような感じ。

共依存の関係が崩れて離れた時、その後の価値観の存在にうろたえたり。

少なくとも私はそうだった。

 

そんな自分を把握してから、ただがむしゃらに第三者になるようになりました。

 今思うと、うつ病になってなければそんなことを自覚することも、それが危険な思考だという事も気付かなかった。

 うつを治したいと考えたら、うつになった原因だけではなく、自分は健康だと思ってた頃の実は異常な自分を見つけてしまったという流れです。厳しい。

 

自分の視点を第三者にするというのは、

「Aさん」と「自分」が話をしていたら、ふつう私の目に映るのは「Aさんだけ」のはずだけど、

『「Aさん」と「自分A」が話してる様子』を、もう一人の「自分B」が眺めているような状態の事です。これはもしかしたら乖離と呼ばれる状態に近いかもしれない。

会話をしていても、自分の口から出る声が、耳栓をして聞こえるような、水の中で喋ってるような感じがする時があって、そういう時は大体不本意なことを言ってる時だったりします。「こう言えば良いだろう」と相手が望むであろう言葉を優先してる。

 今はこんな感じだけど、自分の意志を小出しに出すと決めたから改善されると思う。思いたい。

 

作業所で、誰に対しても私の本当の意見を出すことはない。

(所長には出す必要があったので、必要な分だけ表明のような形で出している。

それは本当の自分の意見を出して、そのまま受け入れてもらえる、とわかっているから出来たことであって、否定されるかもしれないと思っていたら出来なかった。)

 

そんな生活をしていて、とてつもなく嫌悪する場面があった。

自分を含めた他の利用者さんとのやり取りを傍観しているわけだけど、それに気づいた時は背筋が凍った。

僅か数人ではあるけど、その数人が、他人を見下した発言や行動をとるようになってきている。障害の程度はあれ、同じ作業所に通う人間をバカにしている。

一例。数人で会話をしていて、誰かに話を振ったとして、それを全面的にスルーする人がいると、「○○さんには難しいからわかんないよね~」とか「ずっとそうやってたら誰かが一生フォローしてくれるもんな」と言い出す。それに相槌を入れる人の感じも何故か上から目線で、「ね~」と相槌を求められた私は相当目が泳いだと思う。

スルーした○○さんは、作業に集中しているだけだし、頭がいいから答えは持ち合わせてるし、誰からのフォローも求めていないし望んでいないと、私には見える。

 そもそもその会話には参加していないのに。

私は内心怒りに震えているくせに、「集中してるんだと思いますよ」などと言って、自分の本意を、意見を、立場を、ごまかした。

 

 その輪の中にいなかった人に「あの人最近発言権持ってるよね」と話しかけられた

て「今日の天気(大雨)のせいか頭が痛い」と答えた。

 発言権ならみんな持ってる。言うか言わないかを選ぶことも出来る。言いたいのに言えないのはちょっと辛いと思う。

 

 その数人に対して、その輪の中に参加せず陰口を言い私を誘導しようとした人に対して、私は、黙れ、無能、と思った。

 私も同じだ。

 口に出すか出さないかだけだ。

 だけどその差は大きい、と思い込む。

 自分の価値観を大切にする。

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。