花束
という漫画を少し昔に読んだ。1巻しか読んでない。
この漫画の作者の他の漫画で、「なるたる」と「ぼくらの。」を読んでいる。
両方最後まで読んだはずなのだけど、記憶にはもやがかかっている。
お酒を飲んで酔った時の事を、翌日「よく覚えていない」という現象があるが、それは「覚えていない」のではなく、「アルコールを摂取した脳がリアルタイムで見ている物(光景)が正確ではなく、それをそのまま記憶しているからである」というような解説を見た気がする。
まったく同じとは思わないけど、漫画を読んだ当時の私が、描写された光景を正しく読んでいなかった可能性がある。あるいはトラウマだ。
あまりにもかなしい現実を見た事だけが私の中にある正しい記憶だ。
いつか読まないとなと思いながら今に至る。すっかり忘れてしまう事が出来ないのことには、明確な理由がある。読まないとな、と定期的に感じる場面が、日常が、私の目の前で頻繁に起こるからだ。
私は日常的にバスに乗る。
バスに乗るために、バスが来る時刻より少し前にバス停の前に突っ立っている。
だいたい同じメンバーの知らない他人が毎日バス停の前に突っ立っている。
恐ろしく寒い日以外は、メンバーはバスが来るまでの間、スマホを見ている。
私は外で携帯やスマホを見ることができない。私なりの理由はあるんだろうが、よくわからない。だから、外出中にメールが来ても電話が鳴ってても気づかない。
運よく私が休憩の為にどこかで座らない限り、電子機器の画面を見ることはない。
私は運よく視力が良く、この裸眼で見る景色や人を見ている。
しかし、他人には、私のような人もいるが、そうじゃない人もいる。
バス停の前に突っ立ってる私の目の前を乗用車が通り過ぎていく。バスはまだ来ない。
何台も乗用車が通り過ぎていく。
ロゴが付いている営業車はいつも同じ時間に私の目の前を通り、同じ方へ曲がっていく。その車以外は、毎日同じ乗用車かもしれないが違いがわからない。とにかく何台も走り去っていく。
ある日、数えたことがある。バスが私たちを迎えに来るまでの数分間、乗用車の運転手が何人、前を向いていないのか。
運転をしながらモニターを見て笑ってる運転手、明らかに片手で電子機器を操作しているために前を見ないままハンドルを握りアクセルを踏んでいる運転手、歩道の確認もせずウィンカーも出さずに左右折する運転手、
両手を過ぎて数えるのをやめた。
本当にうんざりするんだ。人は見た目じゃないっていうけど、本当にそうだと思う。
そういうことしてる人、外見がヤンチャだとかそんなこと一切ない。
常識人そうな見た目、身なりしてる。「ふつうのひと」だ。
うんざりする。
うんざりして、それだけだ。どうしたらいいんだろう。なにができるだろう、そう考えなきゃいけないのに。
そして「なにかもちがってますか」を思い出してる。
私は、近所にいる変なおばさんになっている。
今目の前を、通り過ぎていくイキりナメクジ運転手を止めることはできない。
赤信号、とまれの信号機の前できゃっきゃっ遊んでしまう小学生をたしなめる。
ありがたいことに、私の住む町の歩行者側の信号機の地面には「絵」が描いてある。
「この絵を見て、信号が青になるまで、この絵を越えてはいけない」と、子供に話しかける。子供は知らない人に話しかけられて訝しそうにする。
でも「絵」を見れば、この変なおばさんが「何をいっているか」は「子供でもわかる」。
子供でもわかる。
それでも偶発は起きるんだろう。
防げる偶発を、防ぐ意識を働かせる、というのは、面倒くさいのかもしれない。
でもやるしかない。それしかできない。やる。
とにかくうんざりするし、とにかく嫌なんだ。