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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

こころがうごく

良い方向へも悪い方向へも、こころが動くというのはすごいことだなと思う。

無味無臭の頃の自分に比べたら、本当にすごいことだ。

そしてこころが動くというのは非常に面倒くさくて邪魔くさいものだとも感じている。

人であり人らしいというのはそういうことなんだろうな。

 

今月は、やることがたくさんあって、書類を書いたり、出かけたり(私にとってはかなりの距離の移動)、話したりしなくちゃで、慌ただしい。でも出来ている。まだ途中だけど。

その都度しっかりと、「私は今疲れている」と確認というか暗示かけるに近いことをしている。そうしないと、気持ちが高ぶって勢いに任せて無理をしてしまうからだ。

今日は二つの予定を完了させる、そう決めて家を出たのに、テンションが上がってしまって余計なこともしてしまい、あれもこれもついでにやってしまおうとなると、私は帰宅後干からびる。干からびると、翌日に控えた翌日分の予定ができなくなる。

寝込んでしまう。そして予定が先送りになって崩れていく。一日の高テンションの行いのせいで、その後がすっかりぐずぐずになって自己嫌悪に陥る。

自己嫌悪に陥ってるだけなら自分の問題で済む話なんだけど、相手があることだと最悪で、調整の為に連絡を取ったり、つまり、やることが増える。

それがまた私を追い詰める。過剰に落ち込んでしまう。

それでも、まあまあ、数年前に比べたら、できている方だとわかる。

昨日の自分と比べて、今日の失敗を引きずるより、去年一昨年の自分を思い出して、よくできるようになったよと諌めている。ましだよ、まあ大丈夫だよ、他人に声をかけるように自分を適当に励ます。

くだらない自分の中の会話は、けっこう役に立ってる。

私は、自分が思うよりも、悪くはないよ、まあいいやつだよと、適当に言う。

 

 

必要なのは定規や測量じゃなくてコンパス

私が恐れたのは、理解の無い他者から放たれる声ではなかった。

本当に恐れたのは、他者が放つ言葉の奥に、過去に自分自身が、他者に向けて放った声が聞こえたことだ。

自分自身が社会的弱者になる、そんなことを全く想定していない完全無敵の正論者ぶっていた頃がある。正論は美しい。間違いがない。それ以外は(理解できないから、理解するに値しないから)ゆるさない。(許す許さないの問題じゃないんだけど、なぜかこういう風に思っていた)

見えている世界が狭かった。様々な経験も少なかったはずなのだけど、なぜか当の本人は経験豊かで知識も豊富だと思い込んでいる。自分の努力や苦労や苦痛が全ての基準で、他人の努力や苦労や苦痛を計ろうとする。比べられるものなど何一つないのに。

この過去の自分は今でも恐ろしい。

だから今、今の自分にとって、どんなに理不尽な話を見聞きしたとしても、ダメージはほとんどない。ないわけではない。

見ず知らずの人に、ある種のグループにカテゴライズされた自分がいて、放たれる暴言の先にいる立場である時、微動だにしないわけじゃない。何か言いたくなる。だからこれを書いているのだけど、、。直接は言えないけど、、。(本当は言いたいことは何もない)

今はもう、多少落ち込むくらいで、次の日には忘れる。そういう感情のコントロールは数年かかってできるようになったし、諦めることで解決できると知った。

だけど、まだそれに慣れてない人にとっては、かなりダメージが大きいだろうことは想像できる。それが不憫だ。

自分の人生を生きて行こうとしたとき、決断をしたでしょう。

私はしました。「いつまで続くかわからない命を使い切るまでの生きる方法」

まずは目の前の問題もまともに理解・整理できなかった時、とりあえず生活を確保したでしょう。(それと時間差で人間関係も清算した、されたでしょう)

寝たきりで泣き続けたでしょう。責めて、悔いて、憤って、放心した。

だからって、自分に無関係の人を攻撃しなかったでしょ。関係ある人だけでしょ。

それにきっと、それだって心の中で。ノートの上で。悪夢の中で。

しばらく経つと、自分の生きる人生に、他人の苦労や苦痛は取り込んではいけない、そんなことを思って、比べることの無意味さを知った。思いやりを持てるようになれるのはもう少し後で。

私はわたしで、あなたでもきみでもない。あなたもあなたで、私でもきみでもない。

私とあなたは、比べるところが何もない。比べることは不可能。

私とあなたは違う人間だから、あるいは、人間だということだけが同じなだけだから。

消えてしまいたいと思う自分の人生を生きるために、必要なものだけを揃えて継続していこう。

他人の声を聞いて、傷ついたり憤る時は、深呼吸をして、自分の人生を生きることを考えよう。理解など求める行為は、寛解して10年経ってからでいい。

 

うつ病になったばかりの頃の私や君へ

 

35度 と ブレイン

暑い。

ものすごく暑い日が続いている。何度も首の後ろを触る。首の後ろが熱く感じて、触る。すると少し和らぐ。気がする。

消えてしまいたくなる日があって、それはもうどうしようもなくて、取り繕うこともできなくて(面倒くさいみたい)どろっと溶けてしまおう、、と椅子に座ったまま二時間が過ぎる。当たり前だけど私は溶けない。

暴風で気温が低い日や、台風で雨が横殴りの日には「気圧が低いから仕方ない」と思える持病だったけど、そういえば、「暑い日の状態」はあまり深刻に考えたことがなかった。眩暈はあるけど、頭痛がしないからだと思う。

気圧が低い時は決まって頭痛がする。関節も痛む。吐き気はないけど指先に力が入らなくなる。色々と体調が良くない症状が出る。

ただ暑いだけの日は、眩暈しかないと思っていたけど、かなり頭がバカになることに気づいた。今日気づいた。

暑い日は、難しいことを考えないようにしよう。

目を開けて寝てるみたいな動きしかしないことがわかった。

 

私は日頃、買い物してレジで精算する時、ほとんど店員さんの顔を見ない。

精算方法のやり取りやありがとうございますなどの会話はあるけど、顔を見ない事が多い。しかし今日は違った。何か所かに立ち寄り、必要な買い物をする際、店員さんの顔を見ていた。ぼーっとしてたら結果見てたということになるんだけど、驚いた。

店員さんも私の顔などこれっぽっちも見ていなかった。

4か所に寄ったが、4か所とも。店内はクーラーが効いていて、暑さでぼーっとしてるわけでもなさそうなので、たぶんいつもこんな感じなんだろう。

私は今まで自分を、顔も見ずに横柄な態度で精算してもらっている人間だ、、と思っていたのだけど、これからは恐縮しないで済む。よかった、、。

真夏の暑さで溶けだした私にとって、良い収穫だった。

 

余生の過ごし方

一般的に余生を意識する年齢よりは少し早いかもしれない。

人生の計画してる人ならばたくさんいるだろう。

私はここ数日、寝る前に習慣になってしまった。残りの人生をどのようにしていくか、できるかできないかは置いといて、自分にとって、どんな生活が良いと感じるのか、考えている。いくつかパターンがある。

来年か再来年にはもう、その生活が始まっているのだから、せめて「選んだ生活の為に必要な状態を整えたスタートアップができるように」までは決めておきたい。

 

今使っている家具のほとんどが、千円とか二千円とかの物で、信じられないかもしれないけど、それを10年以上使っているから、もう捨てることになるだろう。

運んだ瞬間に壊れそうな物ばかりだ。

そういえば服もそうだ。10年は言い過ぎだけど、大体5~6年物、最近買ったのは2年前かな、ファストファッションの、もうヨレヨレのもの。

多分、衣食住に関するものをほぼ処分することになる。

今日の昼間に気づいたけど、スニーカーの底に穴が開いていた。靴は買わなければならない。早急に。私は、高価な靴じゃなくて全然かまわない。千円くらいのでいい。

でも、靴があまりにもくたびれていると(見た目のくたびれ)、外出がしづらくなる性格だ。靴がきれいであってくれると、気持ちがとても上がる。

髪のセットがうまくいったらその日一日テンション上がる、と言っていた友人がいたけど、それに近いかもしれない。(私は髪型についてはかなりずぼらだ)

 

その細々したあれそれを考えながら寝る。

処分がうまくいきますように(体調がついてきますように)と祈るような気持ちで、目を閉じる。

そして、新しい生活が、慎ましく穏やかで、できたら健やかに(笑)

なるように、想像を続けてる。運動もしなきゃなぁ。筋肉欲しい。

 

 

親と子、違う生き物、違う頭の持ち主

悩んでいる。子供の話を聞いて悩んでいるのは私。

苛立っている。子供は苛立っていることを私に話している。

子供が苛立っている出来事については、「私ならこうする」という解決策があるけど、その解決の仕方はあくまでも「私なら」のやり方であって、彼にその気はない。

そんな解決策を選ぶくらいなら、死んだ方がマシだそうだ。

(しぬ、という表明や言葉を彼が使う時、私は叱るのだが、「ネタにマジ切れされてもわら」と言うので、私の好きじゃない方の今時の子なんだなと思って悲しくなる)

子育て中、もっと色々経験させてあげたかった、そんな後悔がある。

仕事と病気で、その日その日を普通の日にするので精いっぱいだった。

そして私はお金の使い方を間違えていたので、今思えば、違うことに使っていればよかったなぁと思う。未熟な母親でごめんねとは口が裂けても言えないけど。

(謝ることが自分のプライドに反するとかじゃなくて、謝られた方は今さらどうしたらいいっちゅーねんと思うから)

私が産んで、私が育てて、私が作った生活環境の中で生活しているのだから、私に似ている部分はある。

私に似ている部分は、彼を助ける力をあまり持たない。

私に似ていない部分は、彼が自分で持って生まれた性質や努力で、随分とクリエイティブになっている。

 

どうも他者とのコミュニケーションに苦労しているようだ。

いくらクリエイティブな良い物を持っていても、自分で楽しむ以外で、それを武器に社会に出て行こうとしたとき、最低限のコミュニケーションはできた方がいい。

いや、できないと困る。どんな形でも構わないけど、得意なコミュニケーションツールの確立が必要となる。それを面倒くさがるのは自由だけど、自分の為になることをする、それすら億劫なら、もうどうしようもないな、と思う。

「やりたいこと」をするために行動すれば、途中で、やりたくないことや苦手なことが出てくることもある。それに対応する力を身に着けてほしい。

でもそんなことを私が口で言うのは簡単なことで、そんなのは本人も百も承知なのだ。

私が思うより数倍数十倍も彼は複雑だ。もう子供じゃない。

私にできることは何もないのだろうか。話を聞くくらいしかできない。

あまり乗り気ではないが、彼の言う暴言や悪口を、一緒に言ってみようか。

暴言はひどいものだし(ネタにマジレスだし)悪口を言う先にいる人物も、私が聞く限り普通の同級生だし、どちらかと言うと彼の方が何言ってるかわからないし、(よくある「わからないポイント」は、彼の話の途中で出てくる言葉や感情の「主観」が変わっていること。彼自身の話かと思って受け答えしてたら、知らない誰かの話になってたり、みんなの話になってたり、たとえばの話をしてるのかと思ってたら現実の話をしていたり)(それを突っ込むと「普通気づくでしょ、普通わかるでしょ」と言う。普通とは…)

私は母親に「感受性が強い」と言われて育てられて(母親は感受性が強いことはいいことだとして誇らしげだった。私は感受性なんか激弱でいい、皆無でいい、普通になりたいと思っていた)今に至る。そして薄々気づいている。

私たち親子は代々、何か、どこかが、少しずつずれている。

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私がしてあげたいことと、してもらいたいことは食い違うし、できない事に挑んで失敗することを何らおかしい事ではない、それを知ってもらいたい。

 

私と子供は別の人間なのだ。

彼の人生は分岐点のプレッシャーと揺さぶりで(あと経験値不足)不安定になっている。最適解など見つけられないだろう。見つけられたとしても、それを実行するには自分の中の何かを捻じ曲げることになり、苦しいだろうと思う。

でも、私は話を聞くしかできない。

聞こう。

 

読書・ターン

本を読み終えて巻末を確認した。

 

「ターン」 北村薫

 

平成12年7月1日 発行 とある。

西暦2000年の作品だ。

私は136頁と157頁のとある部分で、巻末を確認したくなった。「この物語はいつ作られたのだろう」という疑問が湧いて、それを解決したくなったから。

でもしなかった。私は読み終えるまで作品がいつ生まれたのかを知らないまま読み終えることにした。それを、知って、読み進めることは、物語の中の何かを(たとえば楽しみを)、失ってしまうと思った。

2017年の私は2000年の私のつもりで(文末)、新刊を手に取ったような気分で、読むことを選んだ。本を閉じるような簡単な動作で知ることができる情報を、私は得なかった。読後、それは正解だったような、嬉しいような恥ずかしいような、変な気持ちになった。

 

主人公は29歳の女性、真希。

私は主人公に一切感情移入をしなかったし、理解もしなかった。共感できる描写も一つしかなかった。自分と彼女の人生が違いすぎることと、自分と彼女の精神的支柱が(あるいはただの現実が)違い過ぎて、「なんて誠実な人なんだ」と感心ばかりした。

物語の舞台となる「世界」で、真希のたくさんの1日が描かれていく。

淡々と過ぎる1日はあまりにも淡々としていてターンターンという駄洒落なのかと思うほどだった。

私が共感したひとつがそれであるのだけど、淡々と同じ1日を過ごしていくこととは、多分こういうことで、条件さえ揃えば、こういう風にするのだろう、そう思った。

 真希が「世界」に穴を開けられたのは、真希が版画家で、作品を世の中に出していたからだ。真希が版画家になれたのは、父親が魔法を見せていたからだ。私はそう思う。

真希という女性は、人付き合いに向いてなく、友人は多くないが、家族を含め、自分の周りにいる人をとても大切に思っている。そしてそばにいる人も、。

彼女の地味な今までの毎日の全てが、彼女を「世界」で生かした。

 

信じられないくらい「遠く」から「近く」に行く時、名も知らないルールも知らないゲームに参加して「一度だけだよ」、と言われたような気持ちになってしまう。

思いつく限りの思いを動きに変えて、彼女は歩く。走る。

転ぶ、立ち上がる。休む、歩く。だらける、挫ける、眠る、起きる、歩く。

彼女の作る版画作品も、彼女の行動力も、誠実さも、美しいと思った。

彼女は取り乱した時にも一貫性があり、冷静なところがある。それは常に自分以外の者と対話していたからかもしれないと思った。ひとはパニックになった時、自分一人で、状況を把握して問題点を理解して、原因を探して見つけて解決法を編み出し解決してパニックを終わらせることができるだろうか。無理だ。

彼女は常にひとりではなかった。

自分が大切に思う人を、どう大切に思うか、考える一冊になった。

私は、自分が大切に思う人を思うように、自分を大切にしていこうと思う。

数年後に、また読む。

 

_余談_

 

作中に、2017年への贈り物があった。

空前絶後の」という一文にふふと声が出ました。

おそらく、この物語「ターン」を思い出すとき、私は間違いなくサンシャイン池崎さんのこともセットで思い出すでしょう。

 

 

 _文末_ 

結果的に、読後の状態では、という意味。読んでいる最中は2000年を知らないでいる。

読書・紙の動物園

短編集を読んだ。

「紙の動物園」ケン・リュウ

 

今絶対読むべきSF作家 ケン・リュウ「紙の動物園」「もののあはれ」 - あざなえるなわのごとし

 

azanaeruさんが書評していたのを読んで、読んでみたくなったので、数少なくなった近所の書店に行った。スーパーの中にある小さな書店コーナーで、「検索窓口」と書いたレジにいた店員さんに聞いた。

本コーナーを練り歩いてジロジロと背帯を眺め、20分は経ったと思う。

タイトルどころか、出版社別に並んだ本棚からその出版社さえ見つけ出せなかった。

 

私はいつも本を読みたい時、背帯を眺めたり、平積みにされている装丁を見たりして、その日気になったものを…と、かなり適当に選ぶ。そんな風にして本を選んでいるので、どこに何があるのか考えて見つけるのが苦手だ。(昔はすぐに見つけられたのに)

「検索窓口」と書いたレジがなかったら、きっと買わずに帰った。検索窓口は必要だ、そう思った。検索窓口の店員さんは話すより早く検索し見つけて持ってきてくれた。

ありがとうございました。表情には出せませんでしたが、とても嬉しかったです。

 

買った本をその日のうちに読み始めることもあれば、数か月放置しておく時もある。

今日は前者だった。

 

読後、私は物語に対してやるせない気持ちと、自分に対して悔しい気持ちになった。

物語はどれも私に突き付けた。何かを、多くの何かを突き付けた。どうしよう、、そんな風に思った。そして、どうしようもない、大丈夫だ、これは、物語だ、大丈夫だ、そう言い聞かせた。そして、物語だろうか、、?とも思った。

短編集なので、ひとつひとつ呼吸ができたけど、この短編のどれかひとつでもこの一冊分のボリュームの作品だったとしたら、私は読み終えることができただろうか、そう思った。これらの物語を読むには、私はあまりにも無知だった。それが悔しい気持ちの正体だ。

この本を読む前に、私はもっとたくさんの違う本を読まなければならない、そしてまたこの物語を読みなおさなくてはならない、そう思った。

著者近影を見ると、自分とそう歳の差がない人物がいた。私は自分が恥ずかしかった。

才能の有無ではなく、この歳まで生きていて、私は知らないことが多すぎる。

知るチャンスがたくさんあったのに、知ろうとしなかった(興味がないと開き直ってさえいた)けど、おそらく、この歳になってやっと、知っても感情に押しつぶされて伏せることない大きさになったのだとも思う。

10年前の自分ではきっと最後まで読めなかった。それほど私は無知であらゆるドキュメント性に弱かった。

 

読んでよかった。また、読む。

 

_余談_

中国語で読めたら、もっと意味が分かるのに、英語で書かれた物なら英語が読めたらもっと意味が分かるのに、日本語に直した瞬間から全部の意味合いがちぐはぐになる箇所が悔しかった。他国の文化を知っていれば、もっとすんなりと理解できるのに、どこが面白いところでどこか深刻なところなのか、説明を必要としなくていいのに。

私は日本で生まれてずっと日本で過ごして、日本人とばかり接している。

私の暮らしはそう成り立ってしまっている。

他の国の歴史どころか、自分の国の歴史も知らない。何が起こっていたのか、全然知らない。学校の社会の先生は好きだったけれど、私が学んだアレは、本当に日本の歴史だったろうか。世界史を学んだけど、あれは出来事でしかなかった。

私たちは随分前から関わりがあったはずなのに、どうしてこんなに知ることが難しかったんだろう。私の不勉強のせいだけだろうか。不甲斐なくて、少し落ち込んでいる。

 

中学生の頃、シンガポールから来ていた大人の女性と話したことがある。友人家族の友人だった。

とても日本語が上手なその人に、英語の宿題を手伝ってもらうために何人かで友人宅に集まった。そして結果から言うと、英語の宿題は1問もできなかった。彼女は問題を読むなり、「意味が分からないよ」と言った。中学生の頃の私は、「なんで?」と思った。質問をする英文があって、それに英語で答えよ、というものだった。

「何を聞いてるのかさっぱりわからないよ」彼女は言う。

例えば「あなたの好きな本とその好きな理由を教えてください」みたいな質問文だったとして、彼女は「だったらタイトルと理由を言えばいいじゃない」と言う。

「Gakumonn no susume,verry good」でいいじゃない、と言っていた。

しかし私たちに課せられた答え方は、「正しい文法を用いての英文での答えであり、理由もそれっぽい何かを述べなければならない」だった。

彼女は「本当に、意味が、わからない」と言った。そして「ごめんね、役に立てないみたい」と言って笑った。

そんな出来事を、今回本を読んで思い出した。

私たち(友人含め)は、他国の文化を知らなかった。今は、なぜだったのかわかった気がする。きっと、日本の学習方法は、彼女にはとても不思議で無意味に映ったんだと思う。それよりお話ししよう、と言って、おいしい知らないお茶を出してくれた。

そしてそれきりの繋がりでは確かめようがないけど、私は結局、彼女が何人だったのか、知らないままでいる。

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。